昨日寝る前に考えていたこと

なんか夜中に思いつくことってロクでもネェ。

昨日、ログアウトしてみたら水人蔦楽キーワード登録されていたのでリンク先の日記を読む。
自分の日本語能力(発信解析共々)のアレさに悲しくなるんでヤなんだけども。
でも態々日常的に口調とか文体とかを崩したり作ってみたりするのも、「個人的」な視点の存在を曖昧化したい願望からだったりするんだろうけど、そういうある種の絶望から生まれたようなものが(社会との接続を前提とする)「表現」になりうるのかなーとかちょっと前に考えてた(参照先本文のジェンダー論関連らしき話とは全然関係ないですが)。
それを「表現」ではなくひたすら埋没していくためだけの自己IP撹乱行動だと考えると寒い(他人事かよ)。
結局、皆そんなんばっかりか?
そして誰もいなくなっちゃえ。

「規範化された恋愛体験に拠る物語」って括り方は面白いね。
定義付けされると裏切りたくなる。