いらんこといい。

日中戦争当時、陸軍中尉として第五十八師団独立歩兵第百六大隊第二中隊に所属していた楠原正治朗さんという方が、引揚げまでの当時の体験記録をまとめた「遥かなる岩山の里」(昭和62年刊)という本が現在手元にあるのだけど、タイムリーなネタとしては南京事件についてちょっと気になる記述があったのでメモ。

有名な南京事件のことは九江出発前に各中隊長には中国軍から日本文の『ティンパリ著外国人の見た日本軍の暴行』という書籍を配付されて、南京虐殺で殺人・強姦・斬首の写真や、女の全裸の死体等当時見たこともないのが載せてあった。日本軍の残虐行為に、南京の対日感情は何処よりも悪いと聞いていた。


エロねた収集趣味者としては「まえがき」に、“色話は食欲の話とともに大切と考え、また、興味もあり材料も豊富にあるが、文章に残すのは支障があるので、これは戦友会の宴会話に譲ることとしたい。”とあるのが残念すぎる。
大正二年生まれってことは御存命なら百歳近くか…。

「誰も信じてはならぬ」

…TPPだかFTAだか知らないけど、国際貿易絡みの多国間協定みたいなものが何故か停滞する世界経済を再生する切り札みたいに語られるのを見かけるたびに「比較優位」ってマジ誰も信じてないんだなぁ経団連の馬鹿とか一人残らず死ねばいいよねーとか実に微笑ましく思っていたのであるが、こともあろうにこれを自由貿易の「効用」と絡めて語る阿呆(本職含む)が大量に湧くのを見てさすがにうんざりしたので勢いちょっと書き散らしてみる気になったものの、オレ的には「In the long run we are all dead.」なわけであるし、実のところ今更どうでもよかったりもする。(どっちだ)


経済学の古典理論であり、かつ最も重要な発見であるこの「リカードの比較優位の原理」というものについてはウィキぺあたりでも読めば十分理解に足りると思うのであるが、ちなみにこれが何故経済学における最も重要な発見だとされているのかというと他にはまともに実証されたものが一つもないから(本当)。 

で、ここいらなんかにその信頼性についてのざっくりとした議論があるのだけども、これが「少なくとも」前提条件無しに「正しい」ことは、いちいちモデルを組むまでもなく保障されている。何故かっつーと、貿易(国際分業)とは常に財の等価交換(売った分だけ買わねばならない)でしかないから。
したがって貿易の効果は中立的、つまり貿易「には」メリットもデメリットもない*1

要するに「比較優位」ってのは(ここが一番直感的でない部分なのであろうが)、「どのような国との間においても貿易は可能である(売るものがある=比較優位)」ってことを、いささか遠まわしなやりかたで証明しているに過ぎないのであるが、この「どのような国」というところには当然「高関税国」も含むのであるから「比較優位」を自由貿易と絡めて語るのは奇妙なことでしかない*2んだけどね。
ちなみに場合によっては「自宅警備員」が比較優位になったりもするよ*3。何も生産してないのにね!不思議!

…ゆーてもこれは「理想的なモデル」の上での話であり、実のとこ、前もって「前提条件無し」に正しいとは書いたけど、貿易の効果が「総じて」中立的であるためには、資源制約の問題が技術的に解決可能で、かつ通貨金融政策の独立性とか人材の自由な移動に障害がないことなんかが完全に保障されていなければならない。
そうでなくとも、例えばEU*4とか何故か政府も中央銀行も仕事をしない日本みたいな国であっても、この先どんどん没落縮小均衡していけば物価賃金なんかもいずれ右肩上がりに上昇して、どんどん経済成長していくバラ色の未来が教科書的に約束されています。「中立的」だから。
いっそ死んじゃうのが比較優位。食料自給率なんかも一気に解決するので農業駄目になっても大丈夫。
「長期的」には。

*1:つーか貿易のメリット云々てのは突き詰めれば一部国内産業の「労働生産性」がどーたらって話でしかないんだがな。…で、それがいかにどーでもいいことであるかというのはいっこ前のエントリに書いた。

*2:つまり「関税」てのはあくまで内国問題。

*3:むかしヨーロッパにオランダという国があってだな。

*4:そんなにユーロ大事ならドイツとギリシャあたりから順に解体してったらいいよね。

ばぶる

それは要するに「どこ」から「どれだけ(限界量)」ぶんどれるかという話でしかないので、資本の偏在に対し投資に対するリターンつまり「金利」(正確には物価上昇なり消費(経済的負担)の増大を加味した実効値ね)は概ね一意に決まるなりよ。他の条件が同じならば*1
なんで、適当に領域を取っての観測でバブルか否かは判断可能。(…ってゆーかそれなりの投資家はフツーにやってることだよね)

140: ドラエモン  2009/10/17(Sat) 15:00 ID:RyYyzgYoqHg+  [ va4qsJNk0c ]
バブルの正体は「予想の外れ」なんだから、なくすのは不可能。地震を起こすなとか津波を起こすなに近い。基本的には災害の被害を最小化する準備(耐震建築とか、都市計画とか、堤防とか)に力を注ぐのが吉。
「予想のハズレ」違くて、そもそもバブルがバブルなのはそれが「予想」だから。
予想できないものを予想して止めることは定義からできないし、絶対に起こらないようにするには、予想もしなかった新世界(新技術や制度など)が決して生まれない停滞社会を生み出すだけだから。
金融がバブルならもれなく研究開発もバブル。
…それはそーと金利が一意に決まるということは(略。


あたりまえだ。

バブルがはじけると〜

投資の片面は所得分配。

*1:いらない

せいさんせい

34: ドラエモン  2009/10/30(Fri) 00:30 ID:RyYyzgYoqHg+  [ va4qsJNk0c ]
>>33
世間で言う生産性ってのは、労働強度を上げて、同じ給料でより多くの生産や利益をあげることを指す場合が多い。だが、経済学でいう生産性は、労働強度同じでより多くの生産あるいは同じ生産をより緩い労働強度あるいは短い労働時間で実現することを意味する。
で、その経済学で言う生産性(ここでは労働生産性)を決めるのは、資本設備の質と労働者一人あたり装備率、労働者の質(熟練など)そして経営能力、さらにいわゆる技術水準。
面倒臭いので需要が無限に存在すると仮定*1しようじゃない。するとその総量は貨幣の総量に等しくなるので、他の条件が同じならば*2、生産性の上昇=商品価値(=報酬)の下落または総労働時間の増加のいずれかとなり即ち“労働強度を上げて、同じ給料でより多くの生産や利益をあげること”に等しい。

つまり、「生産性」の上昇=無償労働の増加。

*1:いらない

*2:いらない

「魔法使いの弟子」

経済学のイロハとしての需要と供給や合成の誤謬、おカネの性質などは自然科学の法則と同じぐらい普遍的なものだと思うが、なぜか自然科学系の常識は概ね一般国民の中に共有されているのに、経済学的な知識についてはそこまでのコンセンサスがないように見える。これは日本特有の問題なのか、経済や特に金融と絡んだ問題については難解な部分が多いため、世界的に自然科学ほどの知識の共有がされにくいのかは定かではない。
id:sunafukin99:20091003:1254531417
無いよ。
自然科学の普遍性を担保するものは何かっつーと、“観測の一意性”なのであるが、経済現象にはそれがないので、組み込まれている経済学にも「普遍性」なんてものがありません。

ってゆうか「経済学」ほど公理系の不在に苦しめられてきた学問も無いと思うのであるが。
んで、とんでもなく複雑なものに。
上に挙げられている「合成の誤謬」しかり、「バブル」しかり、「流動性の罠」しかり、そもそも(普遍的かつ統一的なものであろうとする)経済学にとって忌み児以外のナニモノでもなかったろうに。

「甦る亡霊」

「ネットがあれば政治家いらない」 東浩紀「SNS直接民主制」提案


もういい加減民間や家計のアナロジーで国家経済を語るのやめろよ!
id:sunafukin99:20091021:1256077860

しかし残念ながら行政というのは経営のバリエーションでしかないんだよねん。
経営とはつまり鞘の取り合い、故にあらゆる政策は、実のところ常に絶対的少数を利すようにできている。

間接民主制が直接民主制より優れるのは、そこんとこを「規模の錯覚」とか「収奪構造の複雑化」なんかによって「分かりにくく」できるからなりよ。
…この書き方だと何が「優れ」てるのか分かりませんかそうですか。


要するに直接民主主義制度はもれなく資源制約の壁にぶち当たるので、「何もできない」&「排外主義化の罠に落ちる」*1を経て、もっとやっかいな「アレ」を呼び覚ましちゃったりしがち。