壇上からの離脱

「離脱者の経済学」ってどうなのかなーとか、の続きを。
というのは本当はヒキコモリの話であって、結局、社会として状況を放置しても問題無い、むしろ縮小均衡による経済の安定を目指す上で、余剰労働力の減少と、滞留する資本の市場への還流効果が得られ、むしろ放置>>自死ウマーと考えられているのではないかね、という問。
数年以内にこれらは「自爆テロ」から、制度による意図的な見えざる「内戦」へ展開すると読む。…のだけど、それらの可視化は難しそうだ。つか技術的に不可能だ。
つまり「内戦」とは対立の構図が一方的な非難の図式に書き換えられる状態と定義するのだけど、今回のケースは実に良いサンプルであったと思う。もたらすものは制度(国力)の規模縮小の連鎖。
さて、どうしよう?
何せ「この国」には「制度外の他者」について語る言葉は無いようなのだ。