うたわない うた

今日の朝ごはん、腐った牛蒡のお味噌汁だった。
花を挿したまま暫く放置した花瓶の水の匂いがした。それでも残すのを躊躇してしまう貧乏性。
でも…生きてる。
クマゼミの初鳴きを聞く。先月29日に既に羽化の確認はしていたのだけれど、鳴き声を聞いたのは今日が初めて。アブラゼミも新しい抜け殻も見つけたので、多分、地上に出てきているのだろう。
蝉の生態にも移ろいがある。
二十年くらい前までは、家の近所でツクツクボウシは鳴かなかった。去年は、名古屋での生息が無いはずのミンミンゼミの姿を見た。栄のパルコの前で鳴き声も聞いた。
五月の終りくらいに、庭でアマガエルが鳴くのを聞いた。
家の庭には以前からアマガエルが棲みついていたのだが、最近は姿を見たことはない。だけど毎年、鳴き声だけは聞こえてくる。調べてみると、アマガエルの生態というのも未知の部分が多いようだ。意外と長命であり、十五年以上生きることもあるらしい。
気になるのは繁殖のことだ。昔、家の近所には小さいが水量豊富な水路が走っていた。田んぼは無かったが、ちょっとした広さの畑があった。今はもう水路は埋められてしまったし、畑の跡にはマンションが建っている。
アマガエルは小さいので、繁殖に大きな水場を必要とはしないのかもしれない。何処かの庭の片隅にある古いバケツや、投げ棄てられた空き缶に溜まった雨水なんかでも繁殖には充分なのかもしれない。
でも、その鳴き声は、ひとつだけしか聞こえてこないのだった。
六月の終り、最初に地上に現れたセミたちは鳴かない。
それが心と呼べるものでは無くて、ただ本能としか呼べないものであっても、歌うものの、歌となる前の感覚は、とても切ないものなのではないかと思う。六月の、未だ静けさが支配する空の下では。
梅雨は未だ明けないが、ここ数週間、アマガエルの彼が鳴くのを聞いていない。