東京を考える その前に

いずれ緩衝材扱いで終了するような今参院選に思うことなぞ何も無いや。
それはそうと、アメリカ経済の先行きが微妙だそうで。
これは以前、日本との比較で考えていた事だけれど、国内経済の行き詰まり=消費の限界に達した時点で、生産力増強に使い切れない余剰資金ってのは中進国の市場開拓及び企業投資に使われるようになるのではないだろうか、それを漠然と“アメリカ以降”の時代と考えていたのだけれど、そういう局面なんでしょうか。“いずれ”か“既に”か。どちらにしろ、外需をあてこんだ経済モデルの限界は見えたと言えるし、効率を考えれば企業の多くが生産を現地で外部委託、パテント収入でウハウハですか。
ああこれが知財立国ですね?
そしてただ通り過ぎていくだけの金。
ただ、この国の経済ってのは、構造的に、外需依存での成長(もしくは安定)以外あり得ないのは激しく自明なのであって、その辺のことは正直億劫で何も考えたくない。
高度成長期時代に組まれた阿呆としか思えない荒唐無稽なプランが今もなお生き残っていて、根拠も無いまま都市部の経済成長が、距離の概念を無視して国土の果てにも波及すると信じられている。これが単純には負担となって、総体的に生産性を著しく落とす結果となり、結局、国際競争力を失い、経済は失速、過剰な投資はそのまま不良債権化、国の負債は今や七百兆円だよ。
小泉の言う構造改革は、結局、経済の縮小均衡をもたらすだけでしかない。
その先が何も見えない、というより、経済は既に金融政策レベルのコントロールでは動きようがないということだろう。基本的には経済問題の延長である少子化の問題なども、現状、政治は策無しだ。
日記の移転先を探してさまよって、実に便利なサイト(blog)↓が。
『海舌』 -Kaisetsu(国際政治・経済の深層)
以下、特に意味を含めず引用

今回のイラク戦争によって、米国の弱さ、欧米各国の理念の欠如が明らかになったことで、西アジアにおいても、独自性の強い経済発展モデルを追及する動きが加速するのではないか。 
すでに、サウジで、その兆候がある。
 ファルージャは、その象徴であった。
ここで注意すべきなのは、日本モデルは中規模国家の経済発展モデルであり、香港、シンガポール、上海、韓国(アジア経済危機前)は都市国家モデルの経済発展モデルである、ことだ。台湾、タイ、マレーシア、インドネシアは、日本モデルを取り入れたが、アジア通貨危機で、足をすくわれた。以後、マレーシアもタイも、自国独自の経済発展モデルを模索しつつ、成果を挙げている。

北朝鮮の事にも触れてあるのでメモ。

朝鮮民主主義共和国は、すでに、ピョンヤンを中心とする都市国家型モデルを推進中であって、今後、日本や米国の支援を得なくても、経済発展を目指すモデルを描けている。

この“都市国家型の経済発展モデル”というのについての解説が欲しいのだけど誰か。
“東京”に対する“江戸”みたいなイメージでいいのかしらん。
ホントに面倒な時代…。