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眼精疲労がひどくって。
google:少子化 核家族
…で検索したところ、いきなりスタンダード反社会学講座で出鼻をくじかれギャフンな気分でキーを打っておりますこんばんわ、いつにも増して投げやりな態度の管理人です。いや、たまに読みに行くけど、ここ。
確かに御説ごもっともなんだけど、そもそも子育てのコストなど考えるまでも無かった時代の話を持ち出して、核家族化は少子化と関係無し、と言うのもどうかなぁと思ったり。“間引き”の話もあったが、そもそも当時は避妊の習慣が無いのだから、生まれ過ぎることはあっても足りなくなることはまず無かったわけだしね。
人口転換理論

近代化に伴って人類集団の人口動態が多産多死から少産少子へ変化する,とNotesteinが1945年に述べて定式化された「人口転換」という現象を説明するための理論である。とくに,生物の本性から考えて子ども数を減らすのが不思議なので,多産から少産への「出生力転換」の理由を考察した理論が多いが,結論は出ていない。

近代化に伴う少子化についてはここ↑に色々分かりやすくまとまってる。
1990〜1999年間に得られた公衆衛生上の成果:家族計画

米国の20世紀における家族計画の特徴は、望ましい子供の出生間隔と家族の構成サイズが達成されたことであろう。夫婦などのカップルが子供を沢山欲しがらなくなったことに伴い出生率も低下、同時に子供の死亡率の低下、人々の農村から都市部への移動、結婚年齢の上昇をもたらした。そして、家族の少子化及び子供の出生間隔が長くなったことに伴い、乳幼児、子供や女性における健康の増進並びに女性の社会的、経済的地位の改善をもたらした。古典的な出生調整法は、失敗率が高いにもかかわらず家族の少子化の面で貢献した。今世紀の後半になって利用可能となった近代的な避妊法や母子ヘルスケアシステムは夫婦などカップルの家族計画を一層立てやすいものとした。また、公的に支えられた家族計画サービスにより、年間1.3百万人の意図しない妊娠が防がれていると推定されている。

少子化は、即ち成果ですよ。近代化。
でも“望ましい家族の構成サイズ”って、誰が何を基準に決めるんだろうか。
違うんだよね、多分。
結局、僕たちは、子供を生み育む代わりに、働き、消費しているのであり、少子化ってのは、子供に対する社会的需要の喪失が表面化しているに過ぎないということなのだよね。
平成14年度の出生動向基本調査によると、家族が理想とする子供の数は、全国平均で2・56人、現実の出生率と大きな乖離があるが、経済的負担の大きさが主たる要因として挙げられている。
はじめに、少子化と絡めて核家族で検索してみた理由は、大家族化が、結局、子育ての負担を軽減するものになるのではないかと思ったからなのだけど、つまり、若年層は経済的余裕も、時間的余裕も不足しているが、既に育児を終えた中高年には比較的余裕があるはずだ、と。そして世代間で育児負担を平均化。
何を今更。
壊した家を出たくせに。
それはそうと、以前、地方学の一分野としての経済学がホニャララでどうなの、と日記に書いたのだが、いちごの「なんで、バブル期に土地や株が高騰したの?」というスレッドを読んでいて、“経済地理学”という学問がちゃんとあったことを知る。

42: プロボーラー  2001/04/03(Tue) 20:56
日本人も合理的経済人も変わらないとする説にたって投資機会枯渇を考えると、欲しいものを作ってない(作れない)ということでしょうね。欲望を圧殺する系統の規制説が有力でしょうか。
俗に言われる箱モノ制約っていうのは意外と正しいかもしれませんね。あと、規模の経済性でしょうか。ごちゃごちゃした町並みを見ているとそう思いますね。
そういう意味で人為的投資機会枯渇というところが第一点でしょうか。
第二点は直感で、ちゃんと解いてないんで不確かなんですけどね。一時期クルッグマン等がやってた経済地理的に国内需要によって生産活動や投資フロンティアが決まると仮定したときに、平均消費性向が富に対して逓減するのであれば、人口規模が意味をもってきますよね。
また、物価水準は高止まるから実質賃金や実質収益は相対的に大国(というよりはコア)よりは低くなると。
何が言いたいかというと、グローバリゼーションと言われる中でも、ローカルなセンスで動いている部分が増えれば増えるほど(サービス化すればするほど)、
空間制約がきつくなるんでないかという気がしたわけです。ヨーロッパにせよ、アメリカにせよ、主要経済活動の地域は日本全体と同じくらいでしょうが、nは増えてますよね。
もうちょっと考えます。 

これ、論として結構、的を射ちゃってる気がして、ちと鬱に。